アメリカには、ケロッグ財団、カーネギー財団、ロックフィラー財団、カイザー・ファミリー財団のように潤沢な基金をもつウルトラ級の財団がある。今回は、ゲーリー・ファイラーマン博士のインタビュー談を抜粋しながら、財団が具体的にどのようにアメリカの病院経営教育に貢献したかについて書いてみたい。
~ファイラーマン博士談~
ケロッグ氏は財団の設立当初から、彼自身が病院の経営管理者(アドミニストレータ: Administrator)でしたので、病院を造ることと、病院の運営方法を改善することに興味を持っていました。そのために、財団としてサポートできることとして、いくつかの組織に補助金を与えることでした。 どうしたら病院の運営改善ができるかを考えてみて下さい。それは、付随する人の教育です。
次のような話があります。当時、病院の運営改善に力を注いでいたソーシャル・ワーカのデイビス(Michael Davis)氏がいました。彼はケロッグ財団が病院の運営に興味を持っていることは知らなかったのですが、ニューヨークのロックフィラー財団(Rockefeller Foundation) から補助金を貰って病院の運営に関する研究をしていました。1929 年にデイビス氏は、病院経営に関する初めての本である「病院経営:一つの専門職として:Hospital Administration: A
Career」を出版しました。1934 年シカゴ大学で病院経営者を育てる小規模のプログラムを設立することになり、設立資金はシカゴのジュリウス・ローゼンワールド基金(Julius Rosenwald Fund)から提供されました。デイビス氏は、実地体験を主体としたプログラムの開設を考えていたのですが、シカゴ大学は、文献を主体とした研究を基本に教えていた大学でしたので、彼の考え方を好みませんでした。 それでもシカゴ大学が病院経営のプログラムを受け入れた理由としては、デイビス氏がプログラム設立に要する資金を持参してきたからです。その結果、シカゴ大学ビジネススクールの中に、病院経営専攻コースが設立されました。 1939 年から 1941 年までそこで勉強していたパタロ(Andre Pattallo)氏は、在学中の研修(レジデンシー)先にケロッグ財団を選びました。 パタロ氏はケロッグ財団で、さらに病院経営に興味を覚え、彼を通じてケロッグ財団とシカゴ大学の関係と、ケロッグ財団とデイビス氏の関係が構築されたわけです。
<インタビュー談話終わり>
このように結果的にケロッグ財団が、パタロ氏とデイビス氏を繋げる架け橋となり、大学への病院経営部構想に向けて一歩前進し、喜んだのもつかの間、当時、第二次世界大戦の真っ只中であり、病院建設は中断され、とても大学教育を手がけることは出来なかった。~次回に続く~
なお、詳しくは私の著書の「病院の外側からみたアメリカの医療システム」の中の<アメリカの医療経営教育の歴史から現在に至るまで>のゲーリー・ファイラーマン博士とリード・モートン博士とのインタビュー談にも参照下さい。