ケロッグ財団が、パタロ氏とデイビス氏を繋げる架け橋となり、大学への病院経営部構想に向けて一歩前進し、喜んだのもつかの間、当時、第二次世界大戦の真っ只中であり、病院建設は中断されていたが、ケロッグ財団は、医療経営・病院経営学部開設に元になるプロジェクトを遂行した。 詳しくは、ファイラーマン博士談に続く。
~ファイラーマン博士談~
(ファイラーマン博士)
ウイスコンシン州ミルウオーキーにあるカソリック系のマーケット大学、大学の名前はフランスの探検家の名前に因んだ名前で<Marquette> のような綴りです。この大学では、牧師(Priest)が病院経営に関するプログラムをカソリック系病院を運営する牧師を対象に開講しました。当時は牧師がカソリック系の病院を運営していたからです。この大学のプログラムは、1929年に開講されましたが、数ヶ月しか続きませんでした。
従って、シカゴ大学より古いのですが、現在でも病院経営学修士課程を継続している大学院という意味で、シカゴ大学が最も古いプログラムとして知られているのです。私は、この出来事についてシカゴ大学の病院経営学プログラム創立50周年記念に医療経営教育ジャーナル(Journal of Health Administration Education :JHAE)に執筆しました。話を元にもどしましょう。パタロ氏は、1941年に、ケロッグ財団に就職しました。その年は第二次世界大戦の真っ只中でした。1945年に終戦を迎えますが、戦争中アメリカでは病院の建設は中断されていたのです。
(私) それは、ヒルバートン連邦法に関係していますか?
(ファイラーマン博士)
ヒルバートン連邦法はその後に成立し、それが理由の1つにもなっています。当時アメリカだけでなく、カナダ、ヨーロッパでも病院の建設は中断されていました。そこでケロッグ財団は、戦時中に「戦後アメリカの医療システムをどうするべきか、どのように準備すべきか」というプロジェクトを遂行したのです。
パタロ氏はそのプロジェクトを担当し、彼は次のように考えたのでした。「医療システムを運営するマネージャーの育成に力を入れ、病院のマネジメントを改善することが先決である。そのためには私がシカゴ大学で受けた病院経営学修士課程を他の大学にも広めるためにケロッグ財団はサポートするべきである。」 パタロ氏は、戦争終了後にアメリカとカナダの主要な大学を訪問し、病院経営学修士課程の開設を勧めて回りました。その結果、ケロッグ財団は、シカゴ大学、セントルイスのワシントン大学 、セントルイス大学、ミネソタ大学、, コロンビア大学、エール大学、カナダのトロント大学などを含む合計12校を選んで補助金を与えることにしたのです。 <次回に続く>