アメリカの医療・病院経営学部 (MHA) の誕生まで⑤病院経営修士課程の認定機関誕生と非医師の病院CEOの成り立ち 

前回までのあらすじ: コーンフレークで有名なケロッグ社の創業者であるケロッグ氏は、ケロッグ財団を創設し、医療経営・病院経営学部開設に尽力をつくし、アメリカ、カナダの12校の大学を選んで病院経営学修士課程の開設のために補助金を与えた。 -この連載の詳細は、著書をご参照ください。) 

~ファイラーマン博士談~

(ファイラーマン博士) 当時、軍人が第二次世界大戦の戦地からアメリカに戻ってきました。その中で医務官(Medical Service Corps)は、軍隊で医療サービスのマネジメントを担当していました。その結果、セントルイス大学を除き、先ほど述べた(シカゴ大学、セントルイスのワシントン大学 、セントルイス大学、ミネソタ大学、,  コロンビア大学、エール大学、カナダのトロント大学などを含む合計12校) 病院経営学修士課程のほとんどの学生は、医務官だった退役軍人でした。

一方、セントルイス大学の修士課程の学生は全て尼僧でした。1948年パタロ氏は、ケロッグ財団から補助金を出した12校の病院経営学プログラムの責任者をバトルクリークにもう一度集め、それまでの経験、カリキュラム、授業の進め方などの情報交換のための会議を開き、一緒になって専門職養成のための修士課程にするための組織となる医療経営学大学プログラム協会(Association of University Programs in Health Administration: AUPHA)を設立しました。AUPHAの設立にはケロッグ財団からの後押しもありました。しかし、AUPHAは各病院経営学修士課程責任者(Director)のプライベート・クラブのようなものでした。

(河野)AUPHA発足の目的は病院経営学修士課程の教育改善と考えていいのでしょうか。

(ファイラーマン博士)そうです。AUPHAの会議は主に、各学校で実施していること、いかにして医療(病院)経営のための教育を向上させるかについて、いつも大きな論争が繰り広げられていましたし、責任者の中にはビジネス、医療、公衆衛生などの出身者がいましたので、意見が対立していました。また、当時の病院経営学修士課程の責任者は、大学病院の責任者でもありました。例えば、あなたの卒業したセントルイスのワシントン大学の修士課程ディレクターのブラッドレー医師(Dr. Frank R. Bradley)は、当時のワシントン大学医学部の付属病院であつたバーンズ病院(Barns hospital)の責任者(Director, 現在のCEOに相当する)でもありました。

(河野)当時の修士課程の責任者たちは、医師だけではなかったのですね?

(ファイラーマン博士)そうです。病院の責任者は、医師と非医師の両方が就任していました。例えばセントルイスのワシントン大学は、病院の責任者と病院経営学修士課程の責任者を医師が兼任、セントルイス大学は病院の責任者は医師ではなく牧師でありその牧師が修士課程の責任者も兼任していました。ミネソタ大学、シカゴ大学の修士課程の責任者も医師ではありませんでした。 

~次回に続く~

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