前回までのあらすじ:第二次世界大戦後、アメリカや西洋諸国は、医療・病院経営のプロを育てるためのに、例えばイギリスは、政府主導型、アメリカはケロッグ財団の後押しで病院経営学修士課程設立、向上に動き始めた。それでは、医療病院経営学部の質を保つためには、どうすればよいのだろうか。 実際にそのプロセスに関わったファイラーマン博士の談話を引き続きお届けします。
前回までのアメリカの医療・病院経営学部の誕生に至る背景、連載はこちら
(この連載の詳細は、著書をご参照ください。)
~ファイラーマン博士談~
(Association of University Programs in Health Administration: AUPHA)
1948年、AUPHA(専門職養成のための修士課程にするための組織となる医療経営学大学プログラム協会)がバトルクリークで発足した当時の会議に話を戻しましょう。 当時、病院経営学修士課程のカリキュラムや学生をリクルートするための資料などを共同で制作しました。修士課程の責任者たちは、「もし、他の大学の修士課程もこの組織に入りたいのなら、一定の標準を設定し、その基準を満たした大学に対し入会許可を与えるべきである」ということになったのです。そこで、基準をいかに設定するかについて話し合われ、当時AUPHAの会員である学校が共通して実施していることをカバーするような基準にすれば良いという意見が出ました。
しかし、その水準は高いものではなかったのです。そこで、学校を2年ごとに1~2日かけて相互に訪問して調査し<補足:これが現在も行われているサーベイ(実地調査)の原型>、それぞれがお互いの修士課程の運営を学べるようにしたのです。その結果、疫学(Epidemiology)や会計学(Accounting)等を必須科目にすることや、学習に要する期間は最低でも18ヶ月は必要であることなどが検討されたのです。
AUPHAの会員はOld boy clubのようにお互いが友達で、エリート意識を持っていたことから限られた学校しか加入出来なかったことは問題でしたが、この新しい制度のお陰で医療(病院)経営プログラムの質の向上に役立ちました。このOld boy Clubの状態は、アメリカで病院経営学修士課程を持つ大学院が30~35校、カナダで3~4校に増えるに至る1950年代まで続いたのです。
ケロッグ財団は、オーストラリアやイギリスの医療経営学修士課程を持つ大学院にまで補助金配布枠を拡大しました。これは、私的財団が医療施設、特に病院のマネジメントの向上、病院の経営管理者(アドミニストレータ)を専門的職業と位置づけする戦略を築いたというとても興味のある話です。
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このようにAUPHAの発足後、アメリカの大学院に医療病院経営修士課程を持つ大学院が増えてきました。次は、その質をもっと上げるためにAUPHAが行った取り組みについてお届けします。お楽しみに!
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