前回までのあらすじ:
第二次世界大戦後から3年後の1948年にケロッグ財団の後押しでAUPHA(医療経営学大学プログラム協会: 医療経営学修士課程が一定の基準で運営されているか調査する機関:)がバトルクリークで発足し、医療経営学修士課程のカリキュラムや全米に広めるための会議が開かれた。それから、15年が過ぎ新たな動きがみられた。
今回は、実際にそのプロセスに関わったファイラーマン博士の談話を基にして続きを書いてみます。
前回までのアメリカの医療・病院経営学部の誕生に至る背景、連載はこちら
(この連載の詳細は、著書をご参照ください。)
1963年にバトルクリークで開かれたAUPHAの会議において、ペテロ氏(AUPHAの発足者)は、次のように発言しました。「AUPHAは今まさに発展すべきである。かつてのOld Boy Club (閉塞的な集まり)ではなく、もっと世の中に評価される組織になるべきです。 AUPHAは、もっと大望をもって医療経営学修士課程のプログラムの改善、例えばカリキュラム、教授陣、リサーチ、レベルを上げるような計画を作成してください。その計画を、ケロッグ財団(AUPHAへの資金補助をしていた)に提出しましょう。計画の内容如何によってケロッグ財団から、補助金が貰えます。」
1年後、再びバトルクリークにおいてAUPHAの会議が開かれました。そこで、AUPHAはケロッグ財団に改善の計画の概要とそれに要する費用を提示し、ケロッグ財団はその計画を認め補助金を出したのです。 その結果、私(ファイラーマン博士)はAUPHAの正規の職員として採用されました。 当時私は、26歳でした。私が雇用されるまでAUPHAは非公式な組織でしたので専任の職員はいませんでした。1964年4月にケロッグ財団から補助金が出たので私は7月から働き始めました。それ以降AUPHAは、活動的な組織になりました。
私が働き始めた当時即座にしなければならなかったことは、医学部、歯学部、薬学部、看護学部などには正式な認定制度(Accreditation)がありましたので、医療経営学修士(Master of Health Administration: MHA)課程にもそのような認定制度を作ることでした。 その認定制度によって、病院経営の仕事を職業として、ステータスを上げようとしたのです。 その一貫で、「定期的な学術誌の発行する機関のHAP(Health Administration Press)出版社の設立(現在はアメリカ病院経営士学会のACHEに移行されている)」を行いました。
アメリカでは、認定機関の設立だけでは学士・修士課程の認定制度は確立できません。というのも、認定制度は2箇所から統制(Control)されているからです。
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この2箇所の統制は医療経営学修士課程だけでなく、アメリカの現在の医学部、薬学部、看護学部にも通じることです。お楽しみに!
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